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最終更新日:2011年3月09日(水)


そらち炭鉱(やま)の記憶をめぐる_そらちミニ炭鉱史


そらち炭鉱(やま)の記憶をめぐる

ちょっと寄り道


ライマンと幌内炭鉱

明治初期、まだ蝦夷地と呼ばれていた北海道に開拓使が設置され、資源調査・殖産興業が急ピッチで進められていた。米国から招へいされた鉱山学者ライマンは1873~75(明治6~8)年にかけて北海道一円の詳細な地質調査を実施。ライマンはこの調査をもとに、日本最大規模となる石狩炭田(空知炭田・夕張炭田)の存在をつきとめる。なかでも幌内付近の石炭埋蔵量がきわめて豊富であることから、開拓使にこの地における開坑を献言。1879(明治12)年、北海道の近代炭鉱の先駆け、官営幌内炭鉱が開鉱する。
 



幌内鉄道の盛衰

幌内からの石炭運搬のため、お雇い外国人クロフォードの指導のもと、全国で3番目の鉄道、官営幌内鉄道(現小樽市手宮~三笠市幌内)が1882(明治15)年に全通。1889(明治22)年、幌内炭鉱と幌内鉄道、および幾春別炭鉱は、開拓使の役人であった堀基が設立した北海道炭礦鉄道(=北炭)に払い下げられる。北炭は、岩見沢-歌志内間、室蘭へ鉄路を延伸。しかし、1906(明治39)年の鉄道の国有化にともない、北炭は鉄道を国に売却、鉄道事業から撤退。
(※幌内鉄道は、その後、国鉄幌内線となり石炭輸送を担い続けた。さらに国鉄民営化に伴いJR幌内線へと引き継がれたが、1987(昭和62)年に廃止となる。JR移行後のJR線廃線第1号だった)

□JR幌内線(1987年廃線当時)
岩見沢駅―栄町駅―萱野駅三笠駅(幌内太)唐松駅―弥生駅―幾春別駅 <貨物支線>三笠駅―幌内住吉駅―幌内駅




北炭と財閥系企業

北炭は鉄道売却後、社名を「北海道炭礦汽船」へと変更し、事業の中核を船舶事業・鉄鋼業に移行。鉄道の買収金をもとに、室蘭に日本製鋼所、輪西製鉄所(現・新日本製鐵室蘭製鉄所)を開設し、全国屈指の工業都市・室蘭の基盤を形成した。鉄道業務から撤退したとはいえ、石炭と鉄によって築かれた北炭の企業力は不動であり、1913(大正2)年、北海道支店(本店・東京)を岩見沢から夕張に移転した際に、事務所に近接して建築(その後増築)した接待用の迎賓館「北炭鹿ノ谷倶楽部(夕張鹿鳴館)」が、その栄華を物語る。一方で鉄道国有化は、北炭の独占輸送体制を突き崩し、財閥系企業が相次いで鉱区開発へ進出する契機ともなった。
 

□明治末期から大正・昭和にかけて財閥によって開鉱・買収された空知の主な炭鉱
住友奔別炭鉱、三菱大夕張炭鉱、三菱南大夕張炭鉱、住友歌志内炭鉱住友赤平炭鉱、三井芦別炭鉱、三菱芦別炭鉱、三井美唄炭鉱三菱美唄炭鉱三井砂川炭鉱住友奈井江炭鉱




 

空知の1950~60年代

戦後復興のため、国策によって石炭産業へ優先的な資源投入が推進される。好不況の波を繰り返しながらも、1957(昭和32)年には炭鉱数158(うち石狩炭田で2/3を占める)と最大を記録し、1960年前後には生産量も戦前の水準にまで回復。沢から山の中腹まで炭住が連なり、商店街は賑わい、映画も札幌よりも早く封切られ、祭りにはサーカス小屋が立った。各まちの人口増加とともに、学校の生徒数も急増。芦別市に残る旧頼城小学校(現・星槎大学)は、1954(昭和29)年に三井芦別鉱業所の全額負担で建てられた校舎。今もモダンな赤レンガ校舎は、映画ロケにも使用された。炭質が良く埋蔵量も豊富であった石狩炭田は、1960年代、わが国最大の生産量を記録し、産炭地としての地位を不動のものにした。


ズリ山

ズリ山は、炭鉱の興隆を今にとどめる景観のひとつだ。坑道を掘進する際に出る岩石や土砂(俗称:ズリ)、あるいは選炭で除去しきれなかった石炭は、特定の場所に廃棄され続けた。それらはやがて山となって積り、“ズリ山”を形成し、周辺の地形を大きく変えた。炭鉱最盛期には、ズリ(捨石)に石炭も含まれていたことから、太陽光による自然発火でズリ山はくすぶり続けることもあったという。今ではズリ山に草木が生い茂り、自然の地形との判別が難しいところもある。赤平の赤間炭鉱ズリ山、岩見沢市の万字炭鉱ズリ山は、公園化され階段で登ることができる。




炭鉱関連資料館

1960年代に入ると石油が急激に普及。石炭は、もはや石油に対抗できないことが決定的となり、石狩炭田を主に1000万トンの生産量を維持するものの、1980年代に入ると生き残った炭鉱も段階的に閉山し、1995(平成7)年には、石狩炭田で最後まで残った坑内掘りの炭鉱、歌志内市の空知炭鉱が閉山し、百余年の歴史を閉じた。
夕張市の「石炭博物館」、三笠市の「三笠鉄道村」をはじめ、空知の各まちでは、資料館、記念館のほか、鉄道駅舎を復元するなどし、貴重な炭鉱の記憶を保存・活用している。観光施設としても楽しめる施設も多い。





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