南美唄炭鉱職員住宅(みなみびばいたんこうしょくいんじゅうたく)
1963(昭和38)年の炭鉱閉山にともなって生産施設は早い時期に撤去されたが、炭鉱住宅等は民間企業や個人に安価に払い下げられたため、現在もまとまって残っている。南美唄市街地から延びる道路を境にして南北に鉱員住宅と職員住宅に分かれていた。 職員住宅は甲乙丙丁の4種類で職務階級によって区分されていた。閉山時、甲種2棟、乙種15棟、丙種42棟及び丁種103棟が残され、甲種は最大規模の独立住宅で、そのうちの所長住宅は木造2階建てで玄関脇には西洋間の応接室が配置されていた。
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