そらち炭鉱(やま)の記憶をめぐる(フォトギャラリー)

生活編

生活編

まちには山の中腹まで炭住が立ち並び、人々は肩を寄せ合い、強い連帯感のもとで暮らした。
醤油や味噌の貸し借りは日常茶飯事。子どもたちは日が暮れるまで外で遊び、母たちは共同の洗濯場で井戸端会議。人々の情が寄り添う生活が、確かにここにはあった。

娯楽編

娯楽編

札幌よりも早く、炭鉱に映画がやってきた。有名歌手も会館を満杯にし、田舎芝居も人気だった。
若者たちの楽しみは、橋の向こうのダンスホール。踊りといえば、盆踊りも炭鉱に欠かせない行事。幾重もの踊りの輪ができて、隣町まで掛け持ちで踊っていた人もいた。

炭鉱編

炭鉱編

仕事に熟練した先達の坑夫は先山(さきやま)と呼ばれた。先山の補助を行う坑夫は、後山(あとやま)。先山は後山を指導しながら作業の主要部分を遂行した。
先山も後山も、繰り込み所で入坑札を入れ、安全灯を受け取り、準備を整えケージや人車に乗り込む。

鉄道編

鉄道編

明治から大正・昭和期、炭鉱から道内各地・港へと石炭を運んだSLの存在も、貴重な炭鉱史のひとつだ。国鉄の主要幹線のほか、炭鉱ごとに駅から炭鉱を結ぶ、あるいは町と町を結ぶ専用鉄道も敷設された。
駅は人で賑わい、石炭であふれた。

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